
先日、テナーサックスの宮田さんに誘われて、久々にライブを
しました。
途中、まずいところが多々ありましたが、共演の皆さんが
やさしくフォローしてくれて助かりました(汗)。
ありがとうございます。
お越し下さった皆様、本当にありがとうございます。<(_ _)>
本番で弾ける身体は、本番でしか作れないんだろうなあと
改めて感じた次第。
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- 2015/03/30(月) 22:43:54|
- 弾いてる(練習、ライブ、動画)
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「まず基本をしっかりやってから・・・」
と言っているとき、たとえばセッションに行くのが怖くて、
逃げの言葉なんじゃないかなあと感じることがあります。
基本からやって悪いことはないんだけれど、自分が長く
やってきた今、やり始めた頃、基本だと思ったことよりも、
もっと基本的なことがどんどん見つかる。
木が、上にも下(根っこ)にも両方向に伸びていくように、
ピアノも応用や実践と、基本を深めていくことの両方が、
同時進行していく。
また、実践してみて、「ああ、これとをやることが必要だ」と
気がつくこともとても多いし、実践の楽しさが基本練習の
モチベーションを高めてくれる。
もちろん、実践ばかりでは、基本がいつまでもあやうく、
木でいえば根っこがないと、いつか倒れてしまうように、
いつか困ることになるんじゃないかなとも思います。
ただ、「基本が完成したら、実践を」なんて思っていても、
基本は永遠に完成しないと思う。
- 2015/03/20(金) 00:08:27|
- 教えてる(教室)
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Kanoさんの歌と、Swingy(外山)のピアノ、Aoitoriさんの絵で、、、
Kanoさんの詩集から選んで曲をつけたオリジナル曲、
演奏を聴いてAoitoriさんが絵を描いてくれました。
気に入って頂けたら幸いです!
- 2015/03/14(土) 10:54:48|
- 弾いてる(即興パフォーマンス)
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以前、バランストレーナー小関勲さんの講座でのこと。
腕をギュッとつかまれていても、1mmなら自由に動かすことができる。
つかまれていることでなく、1mmではあっても、自由に動く方を常に
感じながら動かす。
すると、結果的にどこまでも自由に動く。
さらには、腕を掴んでいる相手を自在に振り回すこともできるとのこと。
それは今、まるでできないのだけれど、
一つ気がついたこと。
今、とても忙しくて、予定がぎっしりつまっていても、
ほんの1秒だけなら、自由に何でもできるのではないだろうか?
たとえ、あの仕事や、この世話や、あれやこれやあったとしても、
今から一秒だけだったら、自由になることができるんじゃないだろうか。
今、あの仕事をやってもいいし、やらなくてもいい。
その選択は僕にある。
ととらえるのが、いいのかどうかわからないけれど、
ま、とにかく共通するものを感じたのです。
目の前の一秒、一秒の自由を感じ続けることで、
結果的に人生が最後まで、自由に感じられるのではないかと。
きっと、「今、ここ、自分」とも共通するのでしょう。
こんなたとえなら分かりやすいかな?
80年ある寿命を80年で終わってしまうとなげいたり、
なんとかして延ばそうと頑張るよりも、
80年を好きなように生きる方が自由を感じられる。
僕も色々健康法とかやったり、あれこれ工夫をしているから、
あまり人様に言えることではないけれど。
寿命自体は、そうそう変わらないと思っているので、その中で
元気に過ごせるように、さらには、やりたいことをやる中で、
どんどん元気になれるようにと考えています。
もう一つ思い出したのは、僕のブログでもよくお名前を
出させて頂いている甲野善紀先生の
「運命は完璧に決まっていて、同時に自由である」
という言葉。これももしかしたら、共通するものがあるのかも。
丁度、twetterでも、この言葉を取り上げられていたのですが、
著書『スプリット』で詳しく書いたのでここでは書かない」
と書かれていたので、読みかけの『スプリット』を続きから
読み始めたら、まさにその話(笑)
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(『無門関』の『百丈野狐』にある、)
『不落不昧 両采一賽 不昧不落 千錯万錯』
大意は、因果に落ちないというのも、因果をくらまし消すことが
できないというのも、ちょうど、丁半の賽の目が同時にでたような
もので、どちらかに限定すると大間違いだということでしょう。
(中略)
それで、「ああそうか、運命は決まっているのか、いないのか、
とどちらかに限定してみること自体が間違いなのだ」と
気づいたのです。
『スプリット』 カルメン・マキ 名越康文 甲野善紀
より引用
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1mmの自由、
1秒の自由、
いかがでしょうか?
1秒では分かりにくければ、はじめは、
今日一日だけは、あれこれ忘れて自由に過ごす。
今から一時間だけは、、、
今から一分間、自由を存分に感じて過ごす。
というように長い時間からはじめると分かりやすいかもしれません。
小関勲さんの『小関アスリートバランス研究所』
http://www.kablabo.com/
- 2015/03/12(木) 12:37:24|
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前回書いた「アバウトタイム」で紹介されていたこと、
ネタバレですが、もう書いてしまいます。
過去に戻って何度もやりなおしてきたけれど、
「今、この時」に戻るのは今回が最後だと想定。
「今、この時」は、何度もやり直した最後の回であると想定して、
日々、この時を過ごすというもの。
この映画の主人公は、過去に行ったり戻ったりしながら、
「今、この時」を大切にするすべを学んだ。
よくいう、「今、ここ」というのは、今しか見ないことではなく、
過去や未来を大局的にとらえてこそなのではないかと感じました。
そう感じながら、小関勲さんの「小関式 心とカラダのバランス・メソッド」
を読んでいたら、まさにそれによくにた文章が載っていました。
日本ライフル射撃協会副会長 藤井優さんの言葉です。
「射撃でも本当に的だけを見ていると、逆に当たりません。
的に焦点を当てながらその周りも把握して、奥行きを感じとる
ことが大事なんです。」
- 2015/03/08(日) 23:43:37|
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