Swingyの音楽日記

ジャズピアノの演奏・レッスンと、それに関わる身体動作について研究・練習していることなど

「力」は入れられる?

体の動かし方については、色々と学んだり試行錯誤して
きましたが、甲野善紀さんの講座に何度か行って、
また新たに興味が湧いてきています。

以下、すでに3ヶ月前に書いた文章ですが、タイミングを
逃して今になりました。

↓  ↓

「力を入れる」という言葉に違和感を覚え始めた。

日常の動作や、ピアノの演奏の仕方を色々考えているが、
どこかに力を入れて何かするというのは、あまりうまく
いかないように思う。

もっと適切な言葉があるのではないかと言葉を考えた。


ドラムをやっていて、「おっ、この感じだ!」と掴んだ
ことがあった。

ドラムは、上から下に叩くのではなく、弾いて上に
上げる方を中心に動くような感じで叩くのだが、
それだけでなく、少しだけ自分側に持ってくるような
感じで叩くと、とても良くなることに気がついた。

外側から内側に集めてくるように、
力を内側に集めてくるように。

関節は外に開かないように、内側に曲げる。
プロレスラーが、「オラ向かってこい!」と自分の胸を
ドンドンと叩くような方向に力を集めてくる。

あれ、余計分かりにくいかな(笑)

ドラムはもちろん動かないけど、音の粒建ちが良く
なって、結果グルーヴやキレも良くなる気がする。
少なくとも、自分の中にそういったものが生まれて
くる。


力は「入れる」のではなく「集める」のではないか。


単に言葉が違うだけではない。

力を入れて、げんこつを握る
力を集めてげんこつを握る

集めた方が、ずっと力感が生まれませんか?

「入れる」というと、「どこに?」と入れる対象を意識する。
「集める」というと、「どこに?」も意識するけれど、
「どこから?」というのも、合わせて意識される。

すると、げんこつ以外のところから・・・全身から力を
集めてくる。だから、すごい力感が生まれる。

大げさに言えば、1次元と3次元の違い。
これは凄い違いでしょ?(笑)


伝説の整体師・野口晴哉のことを書いた本
「回想の野口晴哉」野口昭子 ちくま文庫

にある、こんな一節もこの考えにいたるのに影響を与えて
いたかもしれない。

「今の学問が、人間はどんな要素から構成されているかを
分析追究しているときに、先生は最初(子供の頃)から、
それらの要素を集める力は何かということに着眼していた。

晴哉氏『その力を失ったものは、どんなことをしても死ぬ、
その力のあるうちは生きると、僕は簡単に結論を出していたんだ』」


僕はその集める力がすでにないような状態で、何とか
その力を集めたい、生み出したいと思っていたのでした。


(ドラムの話に戻る)
クリフ・アーモンドという、ミシェル・カミロ・トリオで
叩いているドラマーがいて、彼が、いつも手首を自分側に
クッと折り曲げて叩いているのです。

それは、他の人と比べてとても特徴的で、20年ぶり
に見て、お姿がすっかり変わってしまっても、ドラムを
叩き始めると、手首の角度が昔のままだったので、
ああ、確かにあのクリフ・アーモンドだと分かったの
でした(笑)。

もう覚えていませんが、僕がドラムで、内側に持って
くるというのを試したのは、もしかしたら、彼の手首を
まねしたのかもしれません(笑)

ちょうど良いのが見つかりました。
  ↓
20年前 2分頃からドラム写ります
http://www.youtube.com/watch?v=wrUc_XCczkU

最近と思われる演奏 ドラムソロからはじまります。
http://www.youtube.com/watch?v=LdEMnJ6OXjQ


そんなこんなで、今は、あらゆる動作について、力を
集めるにはどうすればよいか、研究中。

とても面白いです。
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  1. 2011/05/19(木) 23:17:08|
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