ついて、とくに「腕に頼らず全身を上手に使う」ということについて色々。
◆全身を連動させる
・腕に頼らず全身を使うことで、もの凄い力や、もの凄い速さが生まれる。
実際、甲野先生は、すでに60歳なのに、その動きは年々速くなっているそうで、瞬間的な速さなら、
20代30代の日本のトップレベルのスポーツ選手たちが、
全く敵わない速さで動ける。
◆手を前に出すのでも、下からそのまま持ち上げるのと、胸に指先を当ててから前に出すのと
横に上げてから前に出すのは、それぞれ腕の状態が変わる。
◆動かし易いから正しいとは限らない。
■■後日参加したもう一つの講座は、これをさらに音楽家向けに絞って、何人かの楽器演奏者が生徒
として学ぶのを見たり、質問させて頂いたりといかう形でした。
◆全身を連動させる
・全身を自転車や一輪車のように操縦する。(トヤマ:客観的に扱う)
・全身で動けると、凄くゆっくり動くことが苦痛ではなくなる。
・イスに座って演奏する時も、手の動きに常に全身を連動させる。
・どこかが凝るのは、その場所が退屈している(使っていない)から。
・正座・・・常に浮いている感じ。膝を合わせる×前傾→前に放り出される感じ→しびれない。
◆物を持つ。
・5.4.3の指で、少し甲をもちあげるように持つと、5が締まる。2を余らせる。
鍛えるつもりで持つ。
◆楽器演奏へのアドバイスより
・親指の背面を意識する。親指が手前だと、同じ型でも全く違う。背中側、体の裏側全体を使える。
・親指を手前(自分の体側)にしておけば、肩は下がったまま上がらない。
・上腕が使えると親指がだらんと離れてしまうことはない。
・和太鼓(やぐらにおいた大太鼓)・・・しっかり踏ん張るのではなく、前足をやや浮かせ、浮いた
分の重さを太鼓へ。歩き続けているみたいに叩く。
(僕の推測)
体の表側は、感覚を受け取る側で、体の裏側が動かすために使う側なのかな。
◆日常の動きについても探求すれば、そこからいくらでも学べる。
◆いつまでも正しいということはない。常に否定しながら発展する。
◆全身使おうと訓練するのではなく、そうせざるを得ない環境をつくる。
(これは講座後、僕が質問したことへのお答え)
◆期待も不安も持たないとできる。
「できるはず」とも「できないかも」とも考えない。ただ、やる。するとできる。
◆できないことをできないまま繰り返すのは、できない動きを身につけているようなものだ。
(僕から・・・ピアノの生徒に向けて) 「三振しない。」
できなかったとき、やみくもに繰り返さない。1回やってできなかったら、何が間違っているのか、
どうすればできるのかよく考えてから2回目をやる。それでもできなかったら、また一工夫。3回
目までにはできるようにしよう。「三振しない」と覚えておこう!
<僕の気づき>
親指を手前でピアノを弾くように構えてみて気がついた。
以前、鍼の先生が、「ピアノも鍼も、あなたがやっている気功の『とうあん勢』の型だよ。」と言って
いたその型になった。そこへ上記の『手を前に出すのでも、下からそのまま持ち上げるのと、胸に指先
を当ててから前に出すのと横に上げてから前に出すのは、それぞれ腕の状態が変わる。』が結びついた。
そういえば『とうあん勢』をやるときには、その型をとるための準備動作があった。そこからやる方が
良かったんだ!! しかし弾くたびにああいう武術的な動きをするのは、ちょっと恥ずかしいな(笑)。
■■甲野善紀さんの著書ご紹介
『武術への招待』 甲野善紀 井上雄彦 宝島社
『身体を通して時代を読む』 甲野善紀 内田樹 basiloco
『賢い身体、バカな身体』 桜井章一 甲野善紀
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